ホーム›狂俳日々徒然› 狂俳とは, 狂俳の作り方 › 狂俳の探究 第一回 編集部
狂俳仲間の皆さんの誰にも経験のあることですが、狂俳を学び始めた頃参考文献を探してみたが、見つけられなかった、との体験談をよく耳にします。筆者自身も岐阜県内の有名な書店を探し求め歩きましたが、全く見つけられなかったという苦思い出があります。狂俳界に入っていろいろ体験してみて、そうした参考文献の無い事をようやく理解してきたところです。
狂俳の歴史は、今から二百余年前の安永二年(一七七三年)伊勢の俳人無為庵樗良翁によって冠句として伝えられたのが始まりと言われています。それから今日までの長い年月、庶民文芸として県内各地に伝えられて来たもので、文献などで書かれたものがある訳だはなく、その伝統は主に口伝によって引き継がれてきたものであると思います。
そんな中にあって昭和二十五年、県内の有志大人の発起によって東海樗流会が誕生しました。その詳細は「樗流第二四八号(令和二年十月一日発行)」二ページの“樗流会創立七十周年を迎えて“に記載されていますので、確認して下さい。
東海樗流会が誕生してからは、先哲の皆さまが各誌に発表された文献が僅かに見られるようになりました。特にそれらの中から貴重な文献を選別し、平成二十四年四月第十一世細味庵那須露牛宗家が纏められた「先人たちの遺稿」は、現在の私達岐阜調狂俳を学ぶ者にとっては、最高の教本と言えます。
又、樗流六十号(昭和四十八年九月一日発行)から二〇一号(平成二十一年一月一日発行)までの長期間「狂俳入門」として、多くの先哲の皆さまが、会員諸雅カラの質問に回答する形でいろいろな解説をしておられます。
今回編集部では、これら文献の中から日頃会員各雅が疑問に思っておられることを見つけて、順次紹介して参りたいと「狂俳の探求」欄を設けることとしました。紹介するに当たっては、役員会での協議承認、並びに細味庵、八仙斎両宗家のご指導をいただくこととしておりますので、その旨付言いたします
最近季題の句には季語を詠み込むべきか否かの話題をよく聞きます。それも各吟社によって、いろいろ違うようです。このことについても先哲の皆さまが各誌に発表されていますが、今回は平成十八年一月一日発行の「樗流一八九号」の狂俳入門で祖曽北社田中愚坊大人が執筆されている文献を紹介します。誌上記載の文は次の通りです。
解説 曽北社 田中愚坊
大多数の人が季題には季語を詠み込みます。これは題意を表す一番安易な方法だからです。併し考えてみると句が題に近く、ともすると説明句といわれてもやむを得ぬ場合もあるので注意しなければなりません。立派な先輩が季題に季を入れず、雑題に季を入れよと、教えられた事を良き教訓にしたいと思います。二三作句される時は一句は季を入れないで詠む様に努力される事を切望いたします。
以上の通り、季題の句には季語を詠み込んでも詠み込まなくてもよい、但し、詠み込まない場合はその句に季感が溢れていれば良いとの考えです。
今回編集部で取り上げたのは以上の「季題と季語について」ですが、今後会員各雅が疑問に思っておられることがありましたら、ごご遠慮なく編集部の方へご連絡下さい。編集部では過去の文献に遡って調べ、出来るだけのお答えをさせていただきたいと思っています。何卒よろしくご理解を賜りたくお願いします。
尚、今回樗流誌において「狂俳の探究」欄を設けるにあたって、細味庵佐巻宗家から特別寄稿をいただきました。その全文を次の通り紹介させていただきます。
日頃私たちが親しんでいる岐阜調狂俳が、今日に至る迄には、時代の変遷もあって、和歌から発句(俳句)冠句から前句を経て現在の岐阜調の狂俳が生まれたものと思われます。言うなれば、三十一文字を祖として変化したものが狂俳であると思われます。尚、狂俳にも作者側と選者側があって、ルールは多数ありますが、それ故に面白いとも思われます。現在私は、地元の小中学生に狂俳の歴史及び楽しさを教えています。他にも岐阜柳ケ瀬の同好者にも毎月指導しています。狂俳を作るには先ず、その前提として十二音詩の語呂、即ち作詞の(リズム)を会得する事が大切です。そうすれば字余り、字足らずの破調の句は生まれないと言う事です。
リズム、即ち曲が頭の中にあれば、それに詩を乗せるだけの作業です。作句側についてのルールは、題噛り、止め字、季違い、位ですが、肝心なのは課題の意味をしっかりと掴む事です。それによって着想をする、内容は課題との隔たりを持って、作句することですが、最初は説明句であっても仕方ないと思います。次に選者側ですが、願わくば題紙の課題に添って、せめて見返し内ぐらいは選評したいものです。僅か十二字ですから、同じ課題は避けて定座を組んで欲しいものです。
最後に狂俳は雑学ですが、選者の心得として知らぬ事、解からない事があってはいけません。解らない、知らないは犯罪であると言った哲学者もいます。かと言って、選者も万能ではありません。追吟は素直に盲目選でしたとお断りするのも礼儀かと思います。私が常日頃感じている事を書きましたが、結局のところは伝統ある岐阜調狂俳を如何に受け継いで行くかが、今の我々の務めであると自覚し、皆様にご理解、ご協力をお願いする次第であります。
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