岐阜調狂俳と俳句の研究

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東海樗流会70周年を迎えて 加藤清月会長

2022.05.04 259
東海樗流会会長
十二世八仙斉 加藤晴月宗家

今年樗流会創立七十周年を迎えるに当たり、当時の「文芸タイムス」 その後の 「友雅喜」等を参考にして樗流会誕生に関わる軌跡を辿ってみたいと思います。
岐阜調狂俳は、一七七三年(安永二年)無為庵樗良翁によって岐阜の俳人で、美江寺の門前に於いて、洗い張りを生業とする傍ら余暇を俳諧に親しんいた桑原 藤蔵(初代細味庵東坡)と言う人に冠句なるものを伝授されたのが始まりと言われています。
東坡はその後二世細味庵里仙やその後の宗家や、初代八仙斎亀遊宗家等と共に研究改良して俳諧を基調として狂俳が完成されたので有りますが、その後両宗家は、連歌、 俳諧に準じてこれを取り入れて、序列に定座を設けて、高尚にして格調のある狂俳を広められたのであります。故に此の俳諧式定座は岐阜調狂俳の定義であります。

文芸タイムスの台頭

その後百七十有余年を経て昭和二十四年、十一月二十日を期して、山県郡伊自良村、高橋房一(霞耕社、無香庵素堂)氏によって、「文芸タイムス」が発行されました。当時は交通の便も不自由な時代であり、一般には、電話とて無かった時代ですから、どの様にして情報を集められたのか想像を絶するご苦労があったものと思われます。
そうした中、岐阜県下の大人方に呼び掛けて、大人会の結成を図り軈て樗流会が誕生すると、その機関紙的な役割り迄果たす等、狂俳界に尽くされた功績は実に大きなものがあったと思います。

岐阜県下大人会の結成

文芸タイムス主幹、高橋房一氏の提唱によって県内の各大人が召集され、大人会なるものが結成されたので有ります。
概要は次の様であります。

日時 昭和二十五年五月三日 午前十時半。
場所 岐阜市伊奈波 願念寺。
参加者 六十五名(他委任状十名)。

此の会議に於いて、文芸タイムス主幹高橋房一氏より、最近は県内各地で狂俳が急速に発展しつつあるが、現状は細味庵が昭和十八年以来、八仙斎は、昭和二十四年以来道統が空席のままであり、これでは斯界の発展そのものが危惧されるのではないか、此の際県下の大人会と言う様なものを立ち上げて、その打開策を考えるべきではないかとの主旨を説明されたので有ります。

一、 会の名称を樗流会とする。
二、 初代会長を敢江亭歴山大人とする事を議決されました。

其の後昭和二十五年八月六日第一回役員会に於いて、細味庵後継七世に、山海居喜月大人、八仙斎後継七世に如月亭梅渓大人の襲統を決定され、昭和二十六年四月十五日をして、長良御霊神社に於いて襲統文芸大会が執り行われました。

制度の改革

昭和二十六年十一月三日、秋季総会に於いて、これまでの樗流会は大人会の別名であったがこれを改めて、各社の同好の会員で希望者は、大人大雅を問わず凡て会員として扱うことに改められました。
当時の会費は、 大人は年百円。一般は年五十円 と定められました。

機関紙の発行

昭和二十九年五月九日、の総会に於いて、樗流会の会報発行が決まり、翌六月樗流会報の第一号が発行されました。
然しこれは臨時的な発行で、その紙面の中で会報の名前を募集され八月には、誌名を「友雅喜」と改めて同人誌方式の会報が第二号として発行されました。

会名、誌名の変更

昭和三十三年五月十八日伊奈波の含政寺に於いて樗流会春季総会が開催されて、会長梅田歴山大人に代わって小塩春母大人を会長に選任されました。
同時に今後は、広く東海の狂俳作家を網羅しようとの考えから、樗流会の上に東海の二文字を冠して、「東海樗流会」と呼称する事とすると同時に、機関紙「友雅喜」についてもその名称を「樗流」と改めて、年四回定期的に発行する事とし同年十一月 機関紙、「樗流」第一号が発行され今日に至っております。

以上概略を申し述べましたが、今後共末永く樗流会が存続発展、出来ます事を御祈念申し上げ、筆を置く事と致します。


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