ホーム›狂俳日々徒然› 会長・宗家, 西濃地区, 揖東吟社 › 「創立七十周年を顧みて」十二世細味庵 佐巻宗家
七十年と云う歳月は、私の俳歴にも等しく昭和二十五年三月二十五日は、新制中学を卒業した年でもあります。卒業と同時に青年団に入団をして文芸部にも入部いたしました。
後に揖東吟社にも入会するが、先輩の一人が酒が入ると、おふくろが今日は何処へいくんじゃと聴くから、前句じゃと云うと、そうか「みやあく」はええ勉強になるでなあと云って送り出して呉れたものです。それが女郎でも買いと云おうものなら、この野郎の落ちが付く。その先輩は他界しているが良き思い出の一節であります。
さて誰かが名付けた東海樗流会は、三浦樗良の流れを汲んでの命名と思われるが、東海と銘打ったのは将来を見据えての事と思います。
創立した頃は町村合併以前の頃ですから県下には多数の結社があって、今で云う吟社の数も何百社もあったと思われます。昭和から平成に入って私が立机した頃には、樗流会員数二千と云って隆盛を誇っていましたが、今やその影も薄れ吟社三十社、会員数二百三十、名と云うのが現状です。このまま衰退を待つ訳には行かないのが、現在の私達に課せられた使命であると思っています。救いは未だ二百何十人かの会員が居ると思えば、力強く解決も出来ようと云うものです。接木と云う応急処置も考えられますが、此処は樗の種蒔きも大事であると思います。
現在樗流会では各地区に於いて、小中学生に狂俳の指導をされています。これは世相を揺るがす効果は覿面で、今回の文化芸術顕彰にも繋がったものと思っています。
狂俳は岐阜で発祥した文芸である事を知って頂く事が大事で、今回の芸術文化顕彰受賞と七十周年を期に、岐阜調狂俳の発展を期待しています。
会員の皆様には一層の協力を心よりお願い申し上げます。
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