社の沿革
・昭和二十四年澤田唖声雅樗流会の発足に参画され庶務を担当される。
・昭和二十五年澤田唖声雅が代表として華陽社を立ち上げられる。
・昭和二十九年に唖声雅が、可碌庵として立机をされ、その後四十六年には八世八仙斉を襲統され る。昭和四十六年には、東海樗流会々長として唖声大人が就任される。
唖声会長在任中には、岐阜公園内(八仙斉亀遊宗家住居跡)に狂俳発祥の地の碑を建立される等樗流会の発展に多大なご尽力をされた。
社の現状
全盛期には、会員数三十一名を要し、大人も 唖声宗家以下六名程の大人を有していた。池戸梢山大人が、第九代樗流会長として活躍される等の時代もあったが、現在では時代の変遷も有り会員十一名の社として頑張っている。代表者も、池戸梢山大人から杉山花園大人、簑島陽舟大人、川尻洋石大人と替り、平成三十年からは大野桃花大人の下で活動している。
活動状況
現在は、華陽社会員十一名、プラス美洲社から二名、岐阜中社から一名の雅友の参加があり、毎月月例会を開いている。また、最近になって個人会員二人が社へ加入され、会員十三名の社となっている。
毎月の月例句会のほか、社では、厚見小学校出かけての狂俳の勉強会、また、厚見公民館の文化祭への参加等地域との交流を深めている。さらに、社の活動で特筆すべきは、毎年十二月に行っている翁忌である。狂俳の祖ともなっている俳諧の祖、松尾芭蕉の忌日に因んだ句会を行っているものである。昔からの樗流会の伝統を受け継ぎ少し前までは、読経と焼香をするなど厳かな句会であった。これも、時代の変遷の中で簡 略化されて来たが、として大切にして行 きたいものである。次に最近の月例句会の中から、二雅に介させよる選評を紹て頂きます。
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